2020年の年間報告をいたします (2022/2記)
先に、清里の森に来て最初の3ヶ月(2019/10、11、12)のご報告をしました。
→(当ブログ記事「暮らし始めて3ヶ月が過ぎました」をご覧ください)
その際お話ししたように、スマホの日記(アプリ「瞬間日記」)をもう10年以上続けています。
ですが、実は私はその前に、「10年日記」(石原出版社)というものをアナログで書いていました。10年間を1冊で書けます。今3冊目(2015-2024)となりましたので、最初は1995年からだったと思います。今は28年目ですね。古い2冊はまだ自宅(東京)に置いてあります。
スマホで「瞬間日記」を始めたので、あまり「10年日記」を書かなくなりましたが、最近また取り出して書くようになりました。
というのは、この10年日記には、各月の始めの頁に、例えば9月なら、10年間の9月1日から30日までの毎日1行記入欄があります。一応「9月予定」となっていますが、私はこれを1ヶ月間の簡単な実施事項(何をやったか)を記入しています。そうすれば、その見開きの2頁を見れば、1ヶ月の間にやったことが一覧できますし、その前年、前々年の同じ月に何があったか、何をしたのかがすぐに分かります。
これは、チョーアナログですが、デジタルの瞬間日記やGoogleカレンダーなどでは出来ない技です。
その分、記入が若干めんどいですが、最近古い記録もスマホから書き写すようにしています。
と、前置きが長くなりましたが、要はこの10年日記を使って、2020年の報告を書いてみようと思うのです。
なお2020年は清里の森に来て1年目です。なので自分でこの1年を「林住1年」と呼んでいます。
森に来たのは2019年10月、令和元年です。私の林住期も初めての年なので林住期元年です。
すると2020年は令和2年、私の林住期も2年なのか?いや3ヶ月しか林住してないのに林住2年とは呼べない。なので、2020年までを林住1年とします。今年(2022年)の正月で、林住3年になりました。
10年日記にも書いておこう(10年日記では、まだ令和が存在せず、今は平成34年になっています)。
(非常につまらないことを長々と申し訳ありませんでした)
月毎の概要
2020/1 ふだん通りの正月でした
この時は、日本はまだ平和でした。私は例年通り、スキークラブの例会合宿で妙高池の平で正月を迎えました。
東京に帰ってきて、年賀状を自宅のPCとプリンターで印刷して投函し、人間ドックで新宿へ。また久しぶりにテニスサークルに顔を出して、留寿都(ルスツ)にスキーに行っています。これは天候に恵まれ非常に思い出に残る良いスキーになりました。また行きたいです。ここまではいつもの年と同じ1月の行事・行動です。
そして、ようやく1/16、久しぶりに清里の森に帰りました。結構雪が積もっていました。15cmほどでしょうか。
さて、こちらで大きな懸案事項、庭の木の伐採を予定していましたので、有限会社天女山のS氏に見積もりに来てもらいました。そして1/23また東京へ戻ります。翌日自宅の庭の植木の剪定で職人さんが見えることになっているのです。この頃TVでは中国武漢のコロナの感染拡大が報じられていました。
ついに、1/30 WHOが国際的な緊急事態を宣言しました。
2020/2 まだコロナの影は薄いが、、、
ナント、2月は清里にいたのは2/7から1泊だけだったのです。あとは自宅かスキーです。
まだまだ野暮用が多数残っていて市役所へ行ったり、銀行へいったり、ボーイスカウトの集会に参加したり、テニスにも何回か行っています。
世の中は新型コロナに染まり出しました。例のクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号や、タクシー新年会の屋形船がTVを賑わせていました。2/20-23に旭川にスキーに行きますが、この頃はニュースで北海道に感染者が出たと騒いでいて、一緒に行った先輩方も不安そうでした。例年ならホテルにゴロゴロいる中国人がこの年はほとんどいません。
2/28にやっと母とワンコとで清里に帰って来ました。あと蔵王にスキーに行く予定だったのですが、コロナがやばいと中止です。皆高齢者の基礎疾患持ちだからやむなし。この辺りからコロナが普段の生活にも影響し始めてきました。
2020/3 平和な清里とオリンピックの延期
清里に帰れば、至って平和です。2月に水漏れが出たプロパンガス給湯器を灯油給湯器に交換です。
プロパンガス契約は解約しました。毎月の基本料金1650円が節約できます。年間2万円は大きい。ランニングコストも灯油の方が安い、というかプロパンが高いのです。ついでに風呂に追い焚き機能を追加しました。やはり、二人暮らしで、通年暮らすのなら風呂が追い焚きできないとチョー不便です。
その後、確定申告のためまた自宅に戻りました。この当時は自宅のデスクトップPCとICカードリーダーライターがないとe-taxで送信できなかったのです。今はスマホでできます。この時、センバツ高校野球の中止が決まりました。
清里に帰りました。こちらではゆったりと時が流れます。1階リビングのTVを壁掛けに変えましたらすごく便利です。簡単に向きを変えられるので、キッチンで料理を作りながらでも見えるのってすごいです。ただし、まだテレビは見れませんので、Netflixの配信映画を見てます。
そしてまたクラブのスキーのために一旦自宅に戻ります。白馬五竜へスキーです。
これもすごい話題となっていた2020東京オリンピックがついに延期決定しました(3/24)。
3/27やっと清里に帰ると、4月のボーイスカウトの活動がすべて中止の連絡が来ました。これで東京に戻る必要がなくなりました。
2020/4 春の訪れと緊急事態宣言での疎開生活
4/7に東京都に緊急事態宣言(1回目)が出ます(安倍晋三総理大臣)。
4月からは、私と母と愛犬はずっと山梨で疎開状態です。二地域居住ではありません。もう東京へは行きません。
3月に食料品を生協の宅配に申し込みをしたので、4/10に第1回の配達がありました。この地域は毎週金曜日の配達になるとのことです。
4/2に近くのシェルのスタンドで灯油を2缶購入。1Lは75円でしたので、40Lで3000円です。今(2022/2)は1L 107円!悲劇です。
疎開生活はのどかです。水仙やふきのとうの芽吹きに驚きます。家の電球をLED化しています。
春とはいえ、4/14には雪が降って15cmほど積もりました。
4/6に初めてチェーンソーを使いましたが、古いもので全く切れませんでした。4/27、28に庭のミズナラ、アカマツ、サクラの枯れ木など15本の伐木を予定していました。見積もりが¥323,000。やむなし。ウッドデッキの修繕を始めています。
清里でもDVDだけでは母が時間を持て余します。すぐに高い木は切るので、BSは見れるだろうと、電気屋さんにBSアンテナの設置を頼みました。まだ葉っぱは全部落ちていますので、バッチリ見えました。詳細はこちらに→「清里の森でテレビを観たい」
4月に入ると近隣の方々もチラホラお見かけします。両隣の浜松、川崎の方もお見えになりました。
また残念なことに、暖かくなると、ゴキブリが出ました、おえーです。キッチンに糞がたくさん落ちています。くやし〜。また大きなアリも続々出てきました。室内にです。
4月は、全て清里暮らしでした。1日だけ日帰りで母の薬を取りに行っただけです。
2020/5 春になり私も動き始めました
5/3にパンを買いに清泉寮に行きましたが、4月の東京都の緊急事態宣言を受けてか全施設が臨時休業してました。山梨県には出ていないのですが。なお東京は5/25に解除になりました。母が入れ歯が痛くなり、いつもの歯医者に行くため、5/8に東京の自宅に私は日帰りで母を送りました。私は地元・長坂の歯医者さんに通うことにしました。母は歯医者に2回通ってひと段落したので、5/27迎えに行きました。
天気も良くなったので、いよいよ懸案のログの外壁塗装を開始です。傷みのひどい下の方から始めます。
また、実は4月の庭の伐木作業が管理公社からの指導で延期になっていました。ゴールデンウィーク中の作業は他の住人の迷惑になるからとの理由でした、やはりお役所です。そのためモミジの葉が出始めてBSアンテナに掛かるようになり、TVの写りが不調です。ハシゴをかけて木に登り、枝を落としたら、アンテナレベルが上がって、衛星放送がちゃんと見えるようになりました。また、いよいよウッデデッキの補修にも取り掛かりました。この作業については、項をあらためてご報告いたします。
2020/6 懸案の伐木作業が終わり、薪ができます
やっと遅れていた、庭の高木の伐木が始まりました。確かに大掛かりです。15トンの重機クレーン車が入り、資格をもった木登り作業員が重機と息を合わせて、切って吊り上げ、旋回して、降ろして、積み上げ、輪切りにして行きます。この作業自体も非常に興味深いものでしたので、写真を添えて別途記事でご報告します。本来なら木の含水量の少ない冬が薪作りには最適なのですが、管理公社の横やりもあって、水をたっぷり含み始めたこの時期の伐木になってしまい、乾燥に時間が必要となりました。
この年は6月初旬から、セミの羽化が多かったです。
遺伝性の小脳萎縮により四肢不自由の重い障害を持った愛犬の認知症が進行し、通っている獣医さんから鎮静剤(アセプロマジン)を処方してもらっていました。薬をもらいに東京へ行きました。
タイヤも冬から夏へ交換し、まだ東京都民なので都知事選に投票し溜まっていた野暮用をいくつか処理して森に帰りました。
2020/7 豪雨に長雨
地元長坂の歯医者で抜歯 この頃九州熊本で豪雨災害 こちら清里の森でも大雨で目の前の栗の木沢は濁流となりました。
後で「令和2年7月豪雨」と命名されました。7月8日朝7:40にスマホが鳴り響きました。北杜市に土砂災害警報が出たのです。北杜市には何箇所か、土砂災害の警戒区域(イエローゾーン)と特別警戒区域(レッドゾーン)があります。該当する地域では避難が必要になるかもしれません。これについては、当ブログの「いよいよ現地に:土砂災害区域(イエローゾーン)です」(←クリックしてご覧ください)で北杜市のハザードマップを付けて解説しています。
この清里の森は安全です。
この年は異常に梅雨明けが遅く関東甲信では8/1となり、そのため7月中は雨が多く、ウッドデッキ修復作業はなかなか進みません。その中で長尺の2×6(ツーバイシックス)材は自分では運べないのでホームセンター「綿半」ではなく、専門の材木屋さんに発注して運んでもらいました。14ft(4.267m)ものを合わせて18本です。綿半より2、3割は安く¥39,556円でした。
2020/8 夕立多し
ようやく梅雨が明けて日差しが戻ってきたので、ウッドデッキ材の塗装が進みました。キシラデコールという定番の防腐塗料、高いんです。傷んでいる箇所は新しい材と交換します。初めて丸鋸も使いました。YOUTUBEではさんざん脅かされていますので、十分キックバックには注意して作業しますが慣れないと難しいです。午後からの夕立に悩まされながらもなんとかウッドデッキの補修が大体OKとなり、次は薪の準備です。薪割りを始める前に、割った薪を置く薪だなを作らなければなりません。幸いウッドデッキ下が格好のスペースとなります。8月中に薪棚1号から3号までを作成しました。そして並行して、6月に伐木したミズナラや立ち枯れのサクラを玉切り開始しました。
含水率を測ると38%、まだまだ乾燥させないと薪ストーブには使えません。この薪割り作業も後日まとめてブログにアップする予定です。乞うご期待(?)。
2020/9 玉切りに薪棚完了(ほぼ)
太めのミズナラの玉切りがほぼ完了。雨も多く、屋内作業で洗面所にタオル棚を設置。自分へのご褒美の欅無垢材の天板を購入して電動昇降デスクの上に乗せて嬉しい仕事机が完成。
外の仕事は玉切りの続行と薪割りです。薪棚も9号まで作りましたが、途中で崩壊してしまったものもあります。母が尿が濃くなり心配しているので、清里駅前の診療所を受診、素敵な女医さんで母も安心、検査の結果も問題なしでした。
2020/10 野暮用は続き、母が入院
取り敢えずウッドデッキのやばい部分の修理が終わりましたが、まだまだ作業は残っていて、手すりは大部分はそのまま使えますが、塗装は塗り直さないとダメです。ここはワンランク安いガーデン塗料を使って再塗装しました。東京へ戻って野暮用をこなします。支払書が溜まっています。ワンコの30日分の薬もお願いしました。山梨県から不動産取得税の納税通知書も来ていました。これについては、ご報告済みですので、割愛します(「別荘の不動産取得税」←こちらをクリックください)。
母の多摩総合医療センターの定期検診がメインなのですが、無事終わり、次の半年後の3/8の予約を入れていただきました。通っているテニススクールも欠席続きなので、コーチと退会の相談をしました。また府中の法務局出張所に行き、清里の森の「建物の登記事項証明書」を取りました。不動産取得税還付申請用です。機械化が進んでいて10分で簡単に取れたのには感動しました。森に帰ってからも愛犬の認知症がますますひどくなり夜中に吠えて暴れまくり、可愛そうです。10/21に母が左脚がむくんで深部静脈血栓症の診断、甲府の県立中央病院に緊急入院しました。TVショッピングで母用にエアベッド購入しました。ワンコは私と一緒に寝ることになります。大変です。いよいよ薪ストーブに点火です。久しぶりなので手順を再確認しました。
2020/11 四駆に替えました
母は血栓を薬(ワーファリン)で溶かして11/6に無事退院しましたが、まだ通院が続きます。そしてなんと病院職員がコロナ感染したので母もPCR検査を受けてくださいとの電話です。オーマイガッ!です。また母を甲府まで連れて行き、検査してOKです。
東京に戻ってそろそろタイヤを冬用に替えるのですが、自動車屋さんに行くと四躯(よんく、4輪駆動車、4WD、AWDとも呼ばれる)にいいものがあるというので、ちょうどいいので、四躯に買い替え手続きをし、すぐ市役所で印鑑証明など取ってきました。
2020/12 外のお仕事はお休み
母がインフルエンザ注射をしたいというので、四駆の納車日に合わせて上京しました。タイヤも冬用に交換しました。これでもう山小屋前の雪の坂道でもスタックしないでしょう。2度目の冬です。
12/14清里にうっすら初雪です。また12/17と25にシャトレーゼとサンメドウズに2、3時間ずつスキーに行きました。どちらも山小屋から15分ほどで行けます。まだ雪は少なくコースも限られていました。
また40インチの安いTVを購入し、自宅から持ってきたリビングの古いTVと付け替えました。2008年製のシャープのアクオスは2Fの寝室に持っていき、これも壁に取り付け、母がベッドで寝ながら見られるようにしました。また私も簡易ベッドを1Fから母と同じ2F寝室に移し、一緒に寝ることにしました。
2020年(林住1年)の総括
清里の森にやって来て、最初の1年でした。
当初は、二地域居住を考えていたのが、新型コロナのために、早くも移住・定住に近い生活となってしまいました。まだそこまでスパッと今までの生活を切り捨てることは考えていなかったので、結果的にはずいぶんといろいろ関係筋には不義理やご迷惑を重ねてしまいました。大概の方が驚かれました。
これも自分は林住期に入ったんだと思えば救われます。
さて林住1年は、基本のインフラ整備は林住元年の最初の3ヶ月で行っています(冬用カーテン、キッチンコンロ、インターネット)ので、まずは住みやすい山小屋を目指し、修理・修繕をし、また山小屋の雰囲気を大事に、好きなように模様替えしていきました。ログの家ですので、壁に容赦無くドリルでほじくり、釘(よりもネジが多かったです、電動ドライバーは必須)を打ちつけられるのはすごく爽快です。庭の高木の伐木はやって良かったです。空が開けて明るくなりました。BS電波も入ります。そして薪も手に入りました、1年間の乾燥が必要ですが。
外回りではウッドデッキ補修は簡単な大工仕事でできる分は一応ほぼ出来上がりましたが、細かい細工が必要な箇所はまだ手がつけられません。今後の課題です。
住宅設備面では、風呂の追い焚き機能追加がめっちゃ良かったです。これでいつでも風呂に入れます。TVの壁掛けもベリーグッドでした。これはまたリピしました。母も布団からベッドに替えて大正解でした。ダブルサイズにしたのでワンコと一緒に寝ても大丈夫だし、なによりも寝起きが楽になりました。
BSアンテナでようやくテレビが見れたのも嬉しい(衛星放送のみですが)。
生活面では愛犬ナナの認知症による夜鳴きや暴れがひどくなり、犬も人も昼夜逆転の生活でした。鎮静剤アセプロマジンの投与や食事・排泄の世話が大変になってきています。
母も東京とこちらの病院との二つの関係が続きます。
母の通院や私の歯医者で長坂に出る機会も多くその際に買い物もできるので、生協の宅配もいいような悪いような、それほどメリットは感じませんでした。
以上、2020年林住1年のご報告でした。
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このブログ記事を書くために、石原出版社の「10年日記」を参照しています。
この10年日記のいい点は、記事冒頭でお話ししたとおりです。
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