林住期とは第二の人生

林住期、桐島洋子 1-林住期をいかに生きるか
カリスマシングルマザー桐島洋子氏の林住期はスゴイ!

林住期を如何に生きるか

桐島洋子氏の林住期

林住期についてのエッセイとしては、五木寛之氏の「林住期」以前に、桐島洋子氏が1989-1998の間に4冊表している。
 「林住期が始まる 華やぎの午後のために」(1989海竜社)
 「林住期を愉しむ 水のように風のように」(1998/8海竜社)
 「林住期ノート 人生の秋を生きる」(1989/12世界文化社)
 「続・林住期ノート」(1991/3世界文化社)
などのエッセイ集である。
 桐島氏も「自然に向き直り、来し方行く末などに想いを致し、人生の本質について心を澄まそう」というのが林住期、と書いている。

「林住(りんじゅう)期」とは

「私はリンジュウ期に入ったの」と言うと、誰もがギョッとする。
「大丈夫よ、まだ死ぬつもりはないから。その臨終じゃなくて、林に住むと書く林住期。
この間インドで教わったんだけど、ヒンズー経では人の一生を四つの住期に分けるんだって。まず、学生期、つまり勉強や修行の時期ね。次が家住期で、職業に励み家庭を築き子供を育てる時期。その務めが一段落したら、自然に向き直り、来し方行く末などに想いを致し、人生の本質について心を澄まそうというのが林住期なの。最後が遊行期。

「林住期が始まる 華やぎの午後のために」 p10 母親業の重圧を解かれて・・・


 桐島氏は三菱財閥の令嬢でありながら、前半生は高校卒業後、知人の紹介で文藝春秋社に入社し、編集者として働きながらダイビングで知り合った既婚の26歳年上の米軍将校との間に3児を設けた未婚の母であり、ベトナム従軍記者となり若いアメリカ兵と共に死と隣り合わせの過酷な体験をするなど、まさに波乱万丈だったようです。3人の子育て体験をもとに作家デビューし、さらにその生き方から新しい女性の生き方のお手本、カリスマシングルマザーとして女性誌などで脚光を浴びました。

 その後第3子の長男が高校を卒業し、米国留学が決まって子育てから解放され、家住期が終わったのがちょうど著者50歳、林住期の始まりでした。こども3人を引き連れ、2ヶ月の世界周遊の旅に出るのです。

私が家住期を了えて林住期に入ったところで、昭和も終わり平成が始まった。(中略)
子育ての卒業を機に四十代とか五十代とかいった年代を超えて、より大きく四半世紀にわたる家住期の脱皮を果たしたわけである。この爽やかさはたとえようがない。(中略)
豊饒な旅が始まりそうな予感がする。

「林住期が始まる 華やぎの午後のために」 あとがき


そして氏はカナダ・ヴァンクーヴァーに一目惚れで家を1軒衝動買いし、そこを「林住庵」と称したのです。

50代に入ってやっと子育ての責任から解放されたとき、「さあこれで汗みずくの夏は終わった。これからは人生の秋を思いっきり爽やかに生きよう」と歓声を上げた私が、新しい季節の拠点として手に入れたのがこの家である。  
   (中略)
こういう優しい自然に身を託していると、もうとめどなく素直になり、欲も得も忘れて自分自身が自然に同化してしまう。そうなるともう自然破壊なんて自分を殺すのと同じことだから、地球に優しくとかうるさく言われるまでもなく、進んで生活をシェイプアップしてエコロジカルに暮らすようになる。

「林住期を愉しむ 水のように風のように」

「こんなにわくわくできる六十代を迎えられたのも、五十代で十分に休んで遊んで充電したからだろう」

同書 あとがき 

著者61歳の時である。なんとうらやましい言葉であろう。

山折哲雄氏から

 宗教学者の山折哲雄氏も
 「林住期を生きる:仕事や家を離れて第三のライフステージへ」(2000/11太郎次郎社)を表して「林住期とは、経済と家庭の安定をえたあと、家長が一時的に家を出てやりたいことをやるライフステージである。」としています。
 はじめに山折氏の「林住期」観が語られるが、まず四住期の解釈も面白いです。
 さすが日本有数の宗教学者だけあって、言うことが違います。五木寛之氏や桐島洋子氏とも異なる解釈のようにも思えます。

5人の方の体験談がすごい!我が身を振り返るとトホホの林住期となってしまいます。

第一と第二のライフステージは、われわれの場合とさして変わりはない。ふつうの世俗的な生活である。
 面白いのが第三の「林住期」である。
 (中略)
日ごろ抑えつづけてきた秘かな欲望を一気に解放しようというわけだ。
 (中略)
その結果、不良老年への挑戦ということになるかもしれない。路銀が尽き、家族や女房が恋しくなれば、またもとの道をもどっていけばいい。しかし、その自由気ままな旅のなかで、ときに何かをつかむという奇縁がおこらないでもない。日ごろの抑圧を解放して、心身の安定と静安が訪れてくるかもしれない。
 (中略)
このライフステージの話には、フィナーレがある。(中略)
第四の「遊行期」である。百人に一人、千人に一人の割合で、そのような運命をひき受ける者がでてくる。(中略)かれはとぼとぼと目の前の道なき道を歩いていく。歩きながら、ふれあう人びとの魂にひたすら語りかけていく。(中略) 遁世期をすごす聖者である。かつてブッダがそこまで歩きつづけていった。現代では、たとえば植民地インドを独立にみちびいたマハトマ・ガンディーがその道を歩いていった。
 (中略)
 要するにこの第三ステージは、俗の道でもない、さりとて聖の道でもない、両者のあいだを行ったり来たりする、いわば自由人の境涯を象徴するような人生航路を意味しているのである。そのときまで多くの人間は、四十年、五十年のあいだ、働きづめに働いてきた。そろそろ勤労、勤勉の時間を卒業して「林住期」を大いに楽しもうではないか、ーそれが当時のインド人たちの夢だったと思う。
 (中略)
[自覚的に林住期を生きる]
 林住期とはそもそも、放恣な想像力のなかで生きる時間なのである。そのような何ものにもとらわれない時間を発見した古代のインド人に、私は驚かされる。胸をつかれる。しかしよくよく考えてみると、それは何もインド世界にのみ固有の現象ではなかったのではないか。われわれのこの日本列島においても、そのような林住期を生きた面白い人間たちがたくさんいたからだ。たとえば西行、そして芭蕉がそうだった。鴨長明や良寛なども逸することができないだろう。宮沢賢治、種田山頭火・・・・。

「林住期」を生きる 12P-20P 抜粋

として次からの章で、四国遍路から熊野修験道、ネパール移住、いのちの看取りなど、さまざまな林住期を過ごす5人の方々を紹介しています。

 第二、第三の人生、という言葉も出てくる。確かに一所懸命働き、家を持ち子を作り終えたのちに、子に家を任せて家を出て森に入るのは、今までとは全く違った人生になろう。一度リセットする勇気と覚悟が必要なのかもしれない。

お薦めは

ご紹介した本は全部読ませていただきましたが、みなさんへ1冊だけ読んでみてはいかがですか?とお薦めするとしたら、この山折氏の本でしょうか。
 桐島氏の本は、破天荒の人生なので、すごいですが、あまりにも自分と住む世界が違うために、今ひとつ没入できない感がありました。
 山折氏の本に出てくる皆さんは、やはりものすごい経験をされているのですが、客観視しながらもぐいぐいと本は進んでいきます。しかもそれぞれが異なる林住期を体験をされていますのでとても興味深いです。
 山折氏の話が冒頭の20頁で、その後に5人の方のお話が続きます。その中でも、阪神淡路大震災で「偶然生き残った私」が、熊野修験道・大峯奥駈(おおみねおくがけ)修行に向かった方のお話は私には大きな衝撃でした。

<広告> Amazonでお求めできます。→「林住期」を生きる(山折哲雄編著・太郎次郎社)

コメント