読者からいただいたコメントによると、ご自身が希望する自然の豊かな環境の中で(別荘で)介護していくには何が必要か、という趣旨で書け、という命題だと思いました。
更に読者(福助様)はシングル、おひとりさまでしたので、筆者(林住管理人)とは似た境遇。
そこでタイミング良く、(金田一図書館から)「おひとりさまの老後」をゲットしましたので、それを参考に筆を進めていきます。
『おひとりさまの老後』によれば
上野千鶴子 『おひとりさまの老後』(2007 法研)より
さて、「おひとりさまの老後」(以下、この記事では本書と呼ぶ)60ページに次のような記述がありました。
「おひとりさまの住宅事情」という節の中で
上野千鶴子 「おひとりさまの老後」(法研) 60頁
わたしは念願の仕事部屋を八ヶ岳南麓につくったが、それは60m2 ワンルームの空間である。60m2にこだわったのは、北欧の高齢者住宅の平均規模が、ひとりあたり60m2だと聞いていたから。
というわけで、私の(以前の記事「森で介護」の中での)推測は当たっていましたね、ただ大泉かどうかは不祥。
と書き終えてからしばらくして、ナント本人が「八ヶ岳南麓から」を出版するというニュースにぶち当たってしまいました。(→「森のニュース」参照)
なにこれ! もう本人が言ってるじゃん。推測もク○もないじゃん。
うーん、まあいいか。
と、まあここまでは余談ですが、
この本(「おひとりさまの老後」)は学者が一般向けに書いたベストセラー本なので気軽に読めました。
ところどころに、ニヤリと笑わせてくれるサービスもあってうれしい。
で書かれている内容は、ジェンダー教祖だけに女性目線なのは当然ですが、非婚シングルと規定された男性の私(林住ネット管理人)(しかもオス負け犬だと)も別に嫌な感じでは無く、ホウホウ、それで?と読み続けられます。
いろいろ気づかせてくれますし、そうなのよね、と納得の箇所も多々あります。
あとがきで本書刊行の狙いを次のように書いておられます。
長生きすればするほど、シングルが増えてくる。超高齢社会で長生きしたひとは「みーんなシングル」の時代、がすぐそこまで来ている。ひとりで暮らす老後を怖がるかわりに、ひとりが基本、の暮らしに向きあおう。不安がなくなれば、なあーんだシングルの老後って、こんなに楽しめるのだから・・・・そう思って、わたし(たち)自身のためにこの『おひとりさまの老後』を書いた。
前掲書 「あとがき」262頁
上野氏は私(管理人・筆者)より2つ年上。団塊の世代です。
本書の出版はもうだいぶ前で、2007年。
当時75万部のベストセラー。
その後時代はさらに進み、ここ清里の森でもおひとりさまはどんどん増えているようです。
そこで2つの介護
この本を読んでいて初めて気づいたのですが、森で介護、の「介護」って2つの意味がありました。
ケースA :私が(母を)介護
ケースB :ある時間の経過後、私が介護される
ここでは、要介護(者)という表現を使っています
Aでは、介護するひと、が介護者(今の私です)。
そして、今の母(次には私)が、要介護者です。
つまり介護をされる人。
普通、受け身の意味では、(被〜)を使っていると思いました。〜される方という意味。
保険者と被保険者、雇用者と被雇用者など。
ここでは、(被)ではなく、介護を必要とする人、ということで要介護者となっています。
私も何年後かに(B)、要介護者になるのですが、そのための心得も、本書に書かれています。
しかもおひとりさま用にです。
したがって筆者としては、両方の意味での介護について考えていきたいです。
ともに切実ですから。
ただ、そうすると筆者の筆がますます遅くなりますので、まず今回は先に読者のリクエストにある、ケースAを見て行くことにして、ケースBについては後日あらためて別記事に書こうと思います。
在宅か施設か? 家族は?
介護の場所、要介護者がどこで暮らすのかも問題です。
在宅か施設か。
上野氏の調査では、ほとんどの要介護者本人の希望は、自分の家で暮らしたい、だそうだ。
そして、「自分の家」とは「子どもの家」ではない、と氏は喝破する。
つまり、子どもとの同居よりは、一人暮らしを選ぶ(もしくは夫婦での二人暮らし)。
多くの高齢者にとって、施設は入ったら二度と出られない場所。
前掲書 46、47頁
(中略)
家があるのに家に帰れないお年寄りがいるのはなぜか、という問いに対する答えはかんたんだ。帰るはずの家に家族がいるからだ。家族はお年寄りが家に帰ってくるのを拒む。
氏の厳しい筆は続きますが、
『とはいっても、家族を責められない。24時間同居では介護から逃げられない。自分の健康と生活が破壊されると思えばこそ、涙をのんで選択したのだろう。』(前掲書 47頁)との思いやりも。
ところで、おひとりさまって?
どうも本書は軽く読めるので部分部分で読み飛ばしていると、そのうち、フツフツと???が持ち上がってきました。
きっかけはあの「文春砲」です。
本書の著者(上野千鶴子氏)についてググっていると、ナント彼女が入籍していたとあるではないか。 (週刊文春:2023/2/21)
配偶者の名前まで載っている。
えーっ!なんだこれは!
おひとりさまじゃないじゃないか。
と思ったが、オヤ?「おひとりさま」って厳密にはなんなんだっけ。
そう、この言葉は本書の冒頭にもシカトして出てくるので、なんとなくで通していました。
本書の説明では、離別や死別でふたたびシングルになることを「シングルアゲイン」といい、非婚の「ずーっとシングル」とともに「シングル」は様々な箇所で使われています。
言わずと「シングル」とは独身のこと。一般的にも「シングルマザー」として使われているのと同じだ。
林住管理人も「ずーっとシングル」(未婚のこと)に分類される。
ただ私は、離婚した者が「今は独身、ウフフ」と言うのは、一度結婚した者がそれはおかしいでしょと今まで思っていた。
しかし今更ですが調べてみると、どうも配偶者がいない状態であれば「独身」と言って良いのだそうです(ウィキペディア)。もちろん離婚したのでは「未婚」ではない。
また「ずーっとシングルとシングルアゲインとの大きなちがいは子どものあるなし」としている。
しかしどうもおひとりさまとシングルとは違うようです。
本書では「ひとり暮らし」というのもキーワードのようです。
結局本書では「おひとりさま」を定義をすることなくテキトーに使っているようです。
こちらもテキトーに飛ばし読みでパラパラ読んでいるので見逃しはあるかもですが。
まあアバウトでいうなら、「シングル(離別・死別・非婚を問わず)でひとり暮らしのひと」かな。
家族(配偶者は除く)の有無は関係ないようです。
親がいたり、子がいても別居であれば「おひとりさま」。
同居している家族がいれば、これはおひとりさまではないようです。
ただ、ご近所の大先輩は、一人暮らしだが遠くに家族(配偶者と子ども)がいるのでこの場合も「おひとりさま」ではない。まあどうでもいいけど。
そうか、そうすると母と同居で介護中の私(林住管理人)はおひとりさまではないということだ。
ふーん。
読者の福助氏もシングルではあるがおひとりさまではない。
ちょっとこのまま記事を進めていくのがおかしくなってしまいました。
あまり「おひとりさま」にこだわらず、森での介護について考えることにしよう。
でもひとこと、言っていいですか
本書では上野氏が自身を「非婚シングル・負け犬」と規定していますが、文春ではその配偶者の方は何年か前に亡くなられたとのことなので、今なら死別シングルですが、執筆当時はどうだったのだろう。
ひょっとして、隠していたならルール違反。
まあどうでもいいことですが、でも説明責任はあるのではないでしょうか。
『実は訳あって、「シングルアゲイン」でした。』
なんて。
<話はそれますが>
シングルアゲインが出てくるなら、もう「アローン・アゲイン」でしょ。
1972年ギルバート・オサリバンの名曲です。いい歌だったなぁ。
今聞いても心に沁みる。
ビートルズもカバーしてたんだ。今でも時折流れているので、若い人でも聞いたことはあると思う。
甘く切ない青春を振り返りたい爺さまは💁→「ALONE AGAIN」(YouTubeです)
ケースAの介護
さて、読者(福助様)の現在の課題は、ケースAの介護ですよね
(林住管理人の現況も同じです)。
まだお若いですが、お父様の介護をされています。その状況で、大自然の中で暮らしたい、ではどうすればいいのか。
田舎の問題は人間関係と介護資源です
私(管理人)が本書から学んだのは、
(都会ではなく)田舎暮らしを選択した場合に問題となるのは、人間関係と介護資源なのだそうです。
人間関係とはいうまでもなく、田舎暮らしのアルアルです。
このブログでも何度も取り上げてきた、地元住民の方々と、都会から移住した新住民の生活文化の衝突です。
私の場合は、清里の森で管理別荘地なので、人間関係はクリアしています(私の持論です)。
福助様もよ〜く考えてください。
もう一つは介護資源ですが、これは研究者の用語のようであり、あまり私は聞いたことがなかった言葉でしたが、なんとなく介護に関して提供される様々なサービスの総称のような気がします。
この田舎(地方)での介護資源の問題は、都会と違って介護サービスの種類と量が圧倒的に少ないため選択の余地がないことだそうです。
「もうこれっきゃない」とならざるを得ないのでしょうか。
確かに、私も東京(国立市)では、母のデイサービスを探して数カ所見学いたしました。
お婆さんたちが座って折り紙を作っていたり、童謡を皆で歌っていたり、脳トレゲームをしていたりと、イマイチ母に合っているのか???だらけでしたが、1箇所、小さなスポーツジムのようにマシンが何種類か置いてある、明るいガラス張りのルームの施設があって、これだ!と思いました。
足腰が弱ってきている母にこちらで運動してもらうことができました。
残念ながらこのような施設は北杜市にはありません。
これは私の想像なのですが、もし上野氏が要介護となって、北杜市の老人施設に入所、あるいはデイサービスに通所したとします。
するとどうでしょう、上野氏は周りの人たちと上手くやっていけるでしょうか。
絶対ムリだと思います。
周りのおばあさんたちには、氏のようなインテリ婆さんは鼻持ちならず、総スカン、口もきいてもらえません。
何人かのじいさんたちは珍しがって寄ってくるかもわかりませんが、かえって余計婆さま達の反感を買うことになります。
ご本人だって絶対にあんな人たちと一緒はゴメンだわと言うに決まっています。
都会でインテリ婆さんたちのいっぱいいるシニア向けケア付き集合住宅を選ぶのでしょう。
以上は想像です。
上野 「ですよね。わたしも、施設などに絶対行きたくないのは、これまで、寮生活も団体旅行も好きだったことが一度もない人間が、歳とってから集団生活が急に好きになるわけがないじゃないですか。」
おひとりさまvs.ひとりの哲学 山折哲雄・上野千鶴子 (朝日新聞出版 2018)170ページ
清里に介護資源はあるのか?
これは難問。
この八ヶ岳南麓、清里近辺の介護資源については、筆者もまだまだ勉強中なので、調べてはポチポチと書いていくことにします。
それでも、さすがに清里の森まで上がってくると極端に少なくなりますが、駅より下や大泉まで下がればまだいろいろな施設ががあるようです。
うちの母のケアマネさんは、清里ですし、デイサービスは大泉ですので車で10分。
訪問診療をしてくれる清里診療所は駅から2分のとこです。
訪問看護ステーションはどこだっけ?
記事トップの画像は、北杜市のHPです。
北杜市HPでは「🔍くらしの簡単検索」メニューから「高齢者支援・介護」を選ぶとでてきます。
しかし、役所の担当部署のニュースリリースを一覧で並べているだけで、どう利用していいのかさっぱりわかりません。
やさしく親切なところに相談に行くしかないです。そんなとこある?
なお、介護保険が国の制度としてできてからは、どこに住所があっても希望の場所で介護サービスを受けることができますが(私と母は住民票はまだ国立市のままです)、介護サービスの種類によっては「地域密着型サービス」といって、そこの住民しか受けることができないサービス(例えば、定期巡回・随時対応型訪問介護看護など)があるので注意が必要です(最初に清里のケアマネさんと相談した際には、いくつかの施設は利用できないと言われました)。
ケースBについてはまた後ほど
私(林住管理人)が、いよいよ要介護となった場合は(おそらく)おひとりさまであろう。
あと2年後?5年後?いや、近隣の先輩方を見ていると83歳までは大丈夫、すると10年後?
こればっかりは、わかんないなぁ。
そのときようやく、本書の利用価値が最大限に発揮されると思われるのです。
我が身が要介護になる(ケースB)に際しては本書はかなり参考になります。
どんなふうに終わる(死ぬか)、なんかについてもわりといいこと書いてありました
(捨てるもの、本など整理しておけ、とか)。
自分が介護される状態になって、ではどうすればいいの?
本書のオススメでは、在宅おひとりさまです。
それにがってんならば、そのためのノウハウとスキルを準備しなければならないです。
(TO BE CONTINUED)
コメント
森で”在宅おひとりさま”が可能なら移住への希望がわいてきます。
ぜひ管理人さんにはその道の先駆者として、我々追従者の鑑になっていただきたい!
福助様
コメントいただきありがとうございます。
そうです、おひとりさま、って何にも恐れるものはありません。
堂々たるものです。
私も介護保険ができた時、なんじゃいな?って思ってたもんですが、今考えると奥が深い。
ちゃんと勉強すれば使えそうです。
今日は、金田一春彦図書館に行って、上野千鶴子をしこたま借りてきました。
書棚には女性学の方が冊数は多いですが、高齢者介護やおひとりさま本も何冊かありました。
久しぶりに本を読む楽しみができました。
上野本にはこんな記述がありました。
「介護保険ができたおかげで、家族ではなく「他人」に老後を預けることができるようになりました。」
私は、ハッと気づかされました。そーなんだ、そーだったんだ!です。
いよいよケースBのおひとりさま調査を開始します。