現代人の林住期と定年

2-現代人の林住期
国家公務員法の改正 2021/6

第二の人生をどのように生きるか

古代インドと現代の四住期

 古代インドで2000年以上も前の教えなのですが「四住期」とは現代でも通じる人の一生の区分です。今でこそ人生100年などと言われますが、紀元前の世界では人間の寿命はさすがにそこまでは行かないはずです。その中で一生を25年ずつ4期に区分したのは何故でしょうか。浅学非才の私にはその答えは分かりません。(「四住期」や次に述べる「林住期」などついては当サイト頁「林住ノススメなのです」をご覧下さい)

 しかし前半生50年の「学生期」と「家住期」の考えは、驚くほど現代人の生活に即したものとも考えられます。
 私も初めてこの言葉を知ったときには、あまりの古代インドと現代との類似性に驚き、「ウンウン、正にその通りだ」と頷いたものでした。

 ならば後半生の「林住期」はどうでしょうか。
今の社会人で50歳から隠遁生活に入る人はいるでしょうか。落語の世界の長屋の大家さんあたりはそうかもしれません。しかし今の私たちの生活の中で考えると50歳で林住期に入ると言う考えは到底受け入れ難いと思われます。
 古代インドの教えとはどのように違ってくるのでしょうか。
現代での「家住期」の終わり、すなわち「林住期」の始まりは皆さんはどう考えれば良いと思いますか。

定年延長の動きの中で

 人の寿命の伸展を加味して「家住期(家庭を持ち子を育て一家の大黒柱として働く時期)」を延長するという考え方もあります。
 なんとこれは現在の定年延長の動きとも一致します。まあ年金財政破綻のせいかもしれませんが。
今までよりももっと長い年数を働くという考えになります。

 しかし現在は主流の60歳定年も、1986年の高齢者雇用安定法以降のことで、それ以前は大半の企業が55歳定年が主流でした。公務員もこの年齢で「肩たたき」があったと言われていました。
この時代であればほぼ55歳の定年で家住期が終わり、そこから次の林住期が始まると考えてよいのでしょう。

 それが今後65歳、70歳にまで定年が延長されると言うことは、その年齢まで組織に縛られ働き続ける生活を送らなければならないのです。本来なら25年の家住期が40年、45年にも延長となるのです。それでいいのでしょうか。

 おそらくその歳になれば、子どもたちは独立してくれていることでしょう。であれば、子のため家族のために働くという家住期は卒業できていいはずです。

 65歳や70歳になるまでの期間に、自由に自分の心のままに生きる生活が出来ないのではそれは絶対に林住期ではありません。
 家住期を卒業できるのは現代に生きる人たちはいつになるのでしょうか。 

<参考>平均寿命と平均余命

  • 日本人の平均寿命は、2020年で女性87.74歳で世界一、男性81.41歳で世界第二位である。これも毎年延び続けている結果なので、昔はもっと短い。
    厚労省のHPからは、戦後の昭和22年(1947)では女性53.96歳、男性50.06歳と30年以上も短い。
  • 戦前も厚生省が国勢調査をもとに完全生命表というものを作成公表している。
    その第1回は明治24-31年(1891-1898)のもので、女性44.3歳、男性42.8歳であった。
    これでは、まさに織田信長の「♪人間五十年・・」である。
厚生労働省 第20回生命表(完全生命表) 平成19年7月18日 より
この時点では男性の平均寿命は、78.56歳となる。
  • ただ注意していただきたいのは、平均寿命とは、0歳の人の平均余命のことである。近年の平均寿命の急激な伸びは、医学の進歩や衛生観念の改善などから乳幼児死亡率の大幅な改善によるものが大きいと言われている。
     昔から危険な乳幼児期や青年期を生き抜いた人は、あとは割としぶとく生きているのだ(信長が49歳に対して秀吉62歳、家康は75歳と長生きしている)。
  • 第1回完全生命表でも、40歳の平均余命は25.7年なので65.7歳までの寿命となり、65歳は平均余命が10.2年なので75.2歳が寿命に当たる。
    もちろん40歳や65歳の平均余命についても現在の方が格段に長いが、それでも0歳の平均余命(平均寿命)と比べれば今昔の差は小さい。
  • 0歳の平均余命、つまり日本人(男子)の平均寿命が50歳を超えるのは、昭和22年以降だ。戦前男子は家住期を終える頃には、林住期に入らぬまま46歳で死んでしまう(昭和10年)。
    青少年期を生き抜いた幸運な人たちだけがその後の林住期を迎えることができるのだ。
    それを思えば、現代人は幸せだ。大多数が80歳位以上生きる。林住期を生き抜き、遊行期にまで入れる。

<参考>しかし健康寿命は

  • 厚労省は3年ごとの国民生活基礎調査から健康寿命を算出して公表している。
  • 健康寿命とは、ざっくりと「日常生活に制限のない期間」とされている。
    これは世界保健機関(WHO)が提唱している指標で、上記の調査票の質問項目に対する回答の値を集計したものとなる(筆者は、結構、主観が入るので割といい加減な数字だと思います。平均余命のような客観的な数字ではない)。
  • 過去の調査で平均寿命に対して、健康寿命は男性は約9年、女性は約12年短くなっている。この健康寿命後から平均寿命までの期間が「日常生活に制限のある期間」とされている。
    これは厚労省HP上で公開されているが、古い情報のみで平成25年(2013)のものしかなかったが、男性が平均寿命80.21で健康寿命が71.19であった。

・追記(2023/9/30) 最新版

2021年に発表された、2019年の平均寿命・健康寿命は下記の図表の通りです。
ますます伸びています。
3年前と比べ、平均寿命と健康寿命の差が縮まっているのは喜ばしいです。
(男性)  8.84 → 8.73
(女性) 12.35 → 12.07

(令和5年版高齢社会白書 内閣府 令和5年6月20日)より

第二の人生として

 かなり雑駁な数字かもしれないですが実際何歳なのかと言う問題は置いておくとしても、一般論としてはこの健康寿命の年齢(例えば71.19歳)が林住期の最終年として、次の遊行期への入り口となるべきではないのでしょうか。つまり、足腰が立たなくなり自由が効かなくなったらですね。
 健康で自分の自由な意思で活動し暮らすことができるのが第二の人生であり林住期であるべきだと思います。

 このように考えてみると不思議なことに、古代インドの四住期の考えによる林住期の年代は、現代の人生100年の時代でも同じように考えるべきではないかと私には思えます。いかがでしょうか。

 寿命が伸びるのは結構なことですが、それに連動して家住期を延長し、労役期間を延長させる考え(定年延長)は断固拒否すべきです。
 健康でいられる71歳頃〜75歳ぐらいまでを、労役から解放されて自分自身のために自由に暮らす林住期として暮らすべきではないでしょうか
 そうであるならばしっかり25年間林住期を愉しむためにはやはり50歳代で家住期を卒業し林住期に入るべきでしょう。
 桐島洋子氏はまさにそのロールモデルとして秀逸なのです。
 そして五木寛之氏も同じ考えのようです。

五木寛之氏は主張します

乱暴な言い方だが、私は、現代に生きる人びとは五十歳で、いったんリタイアしてはどうかと思うのだ。実際には六十歳、それ以上まで働くこともあるだろう。しかし心は、五十歳でひと区切りつけていいのではあるまいか。
 (中略)
五十歳になったら、今の仕事から離れる計画をたてる。そのまま死ぬまで現在の仕事を続けたければ、それもいい。好きな仕事をして生涯を終えることができたら、それは確かに幸せな人生である。
 しかし、やはりひと区切りつけることを考えたい。その区切りとは、できることなら五十歳から七十五歳までの「林住期」を、生活のためでなく生きることである。

五木寛之「林住期」 (幻冬舎文庫 22-23p)

 私もまったく同感です。そうできたかもしれなかったのに、しなかったのが後悔です。

定年が林住期の始まりです

 桐島洋子氏や五木寛之氏のようなフリーランスの文筆家であれば自分の自由意志で林住期を決定できますが、普通の会社員、公務員などではそうは出来ません。

 大きなリスクを負わずに自分の林住期移行への決断可能な時期というのが、『定年』です。もしくは定年に準じる『早期退職』です。自己都合退職のような退職金の控除などがなく年金などでの不利益はありません。

 この機会を逃す手はありません。再雇用や再任用などの家住期の延長となる働き方ではなく、定年を期に林住期に入る準備をしては如何でしょうか。
 私のこちらでのテニスの先輩に、55歳の時に奥様の自然の豊かな環境で暮らしたいとの希望で、八ヶ岳南麓・大泉に土地を求め、60歳の定年と同時にお二人で北杜市に移住された方がいらっしゃいます。素晴らしい決断です。

 長い長い家住期を勤め上げて、ようやく自分の自由な生き方ができる時期に入ったら、体も心もぼろぼろヨレヨレになっていたと言うことの無いようにありたいです。
 自分の人生の四住期は自分で決めたい。「自分は50代まで家住期は十分働いた、その後の人生は林住期として何事にも縛られず囚われずゆったり過ごしたい。」とお思いになりませんか。

  私事で恐縮ですが、私はサラリーマンを57歳で早期退職いたしました。
 会社定年は60歳です。そこまでは良かったのです。すぐに退職金を元手に清里に来れば良かったのです。ただ退職後もまだ自宅でモゾモゾぐずぐずして動かずに10年過ぎてしまいました。

 当時はそれなりに第二の人生をいかに生きるかなど考えてきたつもりなんですが。最大の失敗は、別荘と言う発想がなかったことです。老後資金の問題もありました。別荘は一部の富裕層のものという固定概念に取り憑かれていたのです。
 私のようなフツーの年金老人には縁がないと思っていました。そうでは無かったのですね。
 私でも別荘に移住で田舎暮らしは可能でした
 それに気づくのが遅かったのでした。悔やまれます。

 まずは八ヶ岳に中古別荘を準備、そして定年での二地域居住の林住期スタート、そして移住という、大自然の中での第二の人生設計はいかがでしょうか。
今が決断の時期です。
お手伝いいたします。

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